Wonderful World

南アフリカ・ジンバブエの日々 海外協力隊

がんばれないときは、自分より大変な人の話を読む

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アフリカのティンガティンガという伝統的な技法の絵画(ペンキ使ってる)を見に行ったんですが

商業的なスペースに所狭しと重ねて並べてられ
「買ってくれよ」とでも言いたげに見えて
民族色の濃い作品たちは、なんだかその場所では、私には素敵に見えなかった。どんな場所でどんな風だったら素敵に見えたかな?わからんけど。

 

 

 

そしたら関連図書の中で、
「何この人、ゲバラじゃん!」って
合成写真見たいな表紙の本が飛び込んできた!

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どうやら、30年以上アフリカで活動している日本人「革命児」の伝記。
でも本人ではなくて、奥さんが書いてるところが興味深いと思った。
(島岡強さん。テレビなどでも特集され有名な方なんですね。)

高校生の時、彼は「一度死なないといけない」と思った。
革命家として生きるのが天命かどうか、試すために。
もしそれが天命なら天が彼を生かすだろうと。
彼は登山の経験もないのに、「これなら死ねるだろう」と映画で見た登山が難しい山に行き、遭難した。
眠気から勝つために自分の腕にナイフを刺したり、自分の尿を袋に入れて暖をとったり、数々の困難。
でも睡魔より死の恐怖より寒さより飢えより辛かったのは「本当の孤独」だと。

 

今、私はチャレンジしようとしてることがある。
彼のその序章を読んだだけで、
「あー自分のやろうとしてることなんて全然たいしたことないし、ぬくぬく守られてるな」と思ったのでした。

 

「一度死にに行かないといけない」、っていうのはなんとなくわかる。
このままじゃいけないってことに気づいた(ザ・ブルーハーツ)ら
とりあえず何かをぶっこわさなくちゃいけないんだ。
そうじゃないと何も生まれない気がする。価値観とか。洗脳とか。馴れ合いとか、ノスタルジーとか。

土日に都会に行くと、百貨店の前で
「恵まれない子供達に愛の手を」などの募金活動を見るけど
いつもモヤっとした気持ちになる。

そんな募金活動でお金集めるぐらいなら
マクドでバイトして働いて貯めたお金を募金したら?」っていう考えの人にも会ったことある。
→それもできるけど、アクションを起こすことで人に広めたいっていう目的があるんだと思う。

でも、なぜ日本を飛び越えて外国に目を向けるんだろう?モヤモヤその1。
(日本国内でいろんな支援が必要な事柄はあるし、それを支援している人たちもいる。国外でも様々な国が支援を必要としている。みんな自分の中の何かがピンと反応するんだろうか。行ったことない国にどうやって思いをはせる?どうやって選ぶ?)

あともっと何かお金を集めるいい方法、起きていることを伝えるのにいい方法があるんじゃないだろうか?っていうモヤモヤその2。
(道で叫ばれても何かお金入れにくい雰囲気あります。クラファンとかはリターンがあるから応援してる感あるし嬉しい)

あとこのお金が本当に正当に使われるだろうかっていう透明性のない時にもモヤモヤその3。
(実際嘘っぽいところにお金を入れたことがあって、それ以来支援したい時はどこに入れるかをよく調べる)

本の中で、時折、奥さんが「革命児」に尋ねる。
「どうして日本を飛び越えてアフリカなの?」
「形あるものを壊す方(彼の場合アフリカのアパルトヘイト)が、形のないものを壊すよりも簡単なんだ。
日本の中の部落や朝鮮人差別は今ではかなり法律などではかなり改正され
表面上は隣同士に座ろうと何をしようと問題ないが
人々の心の中の差別意識は今も根強く残っている。
いくら制度を変えても人の心の中まですぐに変えることはできない。それには何台も歴史を積み重ねていくことが必要なんだ。」

私のモヤモヤその1は、少しだけ、晴れた気がした。

以上、読み始めの気持ち!

読み終わったら、誰か貸しますよ!